豊臣秀吉の辞世の句から人生を考える

日本で最も成功したと言われる

豊臣秀吉は、いよいよ死んでいく時は次のように言い、辞世の

句として、知られています。

大阪城に行くと、石碑に刻まれています。

「おごらざる者も また久しからず

露と落ち 露と消えにし我が身かな

難波のことも夢の又夢」

言って寂しく死んでいます。

豊臣秀吉と言えば、成功者として有名です。

尾張の水呑百姓から天下人」と言われています。

尾張とは今の愛知県西半分あたりのことです。

水呑百姓(みずのみびゃくしょう)とは、貧しくて水しか

呑めないような百姓のことで、自分の田畑を所有していない

百姓です。人から土地を借りて、農作物を作り、収穫の何割

かを貸してくれた人に納めます。

非常に貧しい人です。その子どもとして生まれました。

そこから天下統一を成し遂げたというのは、世界的に見ても

まれに見る出世ぶりです。

日本で天皇の次に偉い、関白太政大臣になり、

大阪城や聚楽第を造りました。

大阪城、今森ノ宮にありますのは、もちろん大阪城ですが、

昭和の時代に建て直されたものです。豊臣秀吉の大阪城は

今の3倍から4倍あったと言われています。作るのにかかった

お金は現在の金額で3兆円とも言われており、今そんなお金の

かかった建物はありません。

現在ビルでは日本一高いのあべのハルカスでも760億円、

東京にあるスカイツリーは650億円です。

しかも、その大坂城を自分の財布を傷めずに、全部部下に

建てさせたというのですから、驚きます。

お前はここの石垣を作れ、お前はここの堀を作れと命令して、

後は見物しているだけで完成しました。

自分が家を建てる時、是非そういうことを言えるなら言って

みたいものです。

お前はここの庭を作れ、お前はここの門を作れ。

しかし、私達は秀吉のような権力がありませんので、当然

できません。

如何に強い権力を持っていたか分かられると思います。

そんな日本中を思いのままにできた豊臣秀吉は、さぞかし

満足して死んでいっただろうと思いますが、その辞世の句は

大変寂しいものでした。

おごれる平家は久しからずと平家物語にもあります。平家一門は

平家に非ずんば人に非ず」と言っていた者があったそうです。

大変驕り高ぶっていましたので、10年で源氏に滅ぼされてしま

いました。

それを知っていた秀吉は秀吉なりに驕らないようにしてきた

のですが、やはり続かなかった。

露とは儚いものの代名詞と言われます。儚いとはあっという間に

消えてしまって寂しい様子、ぱっと消えてしまって空しい様子を

いいます。

朝露が、太陽が上るとすぐに蒸発して消えていくように、

露のようにこの世に落ちてやってきて、露のように蒸発して消え

た私の儚い一生であったということです。

難波のことと言いますのは、先程も言いました、天下統一をし、

関白太政大臣になって、大坂城や聚楽第を作り栄耀栄華を

極めたことです

それらが夢のようであった。夢も儚いものをいいます。

夜中にすごい夢を見て目が冷めた。これは朝になったら家族の

ものに伝えねばならないと思ってもう一眠りするともう忘れて

しまいます。そういう儚いものが夢です。

しかし、ここで秀吉が言っているのは、夢のような人生だった

ということではなく、夢の中で夢を見ているような人生だった

ということです。儚いになお輪をかけて儚い一生であった

ということです。

自己実現を人生の目的と思っている人は多くありますが、

豊臣秀吉の辞世の句を聞くと、人生とは何なんだろうかと

思わずにおれません。

仏教では、そのような人生ではない、本当に生きてて良かった

と心の底から言える本当の幸福が教えられています。

是非学んで頂きたく思います。

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